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辻村 美智子

​西東京・多摩エリア担当セラピスト 次女

小中高3児のシングルマザー。

19歳でリフレクソロジーサロンの店長を勤めるも、心身ともに体調を崩し退職。転職後、ぎっくり腰を繰り返すようになる。

21歳の時に結婚し、23歳で長女を出産、25歳で次女を出産、28歳で長男を出産した。

子育て中は子ども優先で自分のケアは後回しで、整体に行ってみたこともあったが、子どもとの時間を優先し、頻回に通うことを続けきれずに断念。

ぎっくり腰になった時も自宅で安静にするだけで、特別にケアをするわけでもなく、持病のアレルギー性鼻炎や喘息の悪化など、体の不調を感じても我慢してしまう日々が続いた。

ある時、長崎に帰省した姉から15分くらいミオンパシーの施術を受け、ガチガチに固まって硬直していた体がふわっとする感覚を味わい衝撃が走った。その時からミオンパシーに少しずつ興味を持ち始める。

長男を出産後、母の変形性股関節症が急激に悪化。沐浴の手伝いをしてくれていた母がどんどん動きに制限がかかっていく様を近くで見ることとなった。

子ども達が小さかったこともあり、日々とにかく必死で、不調を感じやすかった時期にどうやってきたのかはあまり覚えていないが、上の子ども達の登園準備をしながら長男をおんぶして、母の靴下を履かせていたことだけは覚えている。

靴下を自分で履けないほどに動きに制限がかかり、歩くだけでも痛みを堪えながら過ごす母を見て、どうにかしたいと思いつつも、過去の母よりも体の痛みが早い時期に出ている自分も近い将来そうなってしまうのではないか?という不安を覚える。

29歳で離婚。

離婚後は体調を崩してなんかいられないという思いから、不調を感じたら早めに病院に行き、薬頼りの生活をしていたが、不調の感じ易さはなかなか変わらず。

肺炎罹患や、婦人科系疾患での手術を経験。それを機に更に倦怠感・具合の悪さを感じるようになり、腰痛などの身体の痛みも徐々に重症化。

腰痛は生活の質を落としてしまうほどに痛みが悪化していたが、病院に行っても対症療法でその場しのぎにしかならず、寝込んでしまう日が増えていった。

3人の子ども達も周りと比べ風邪などをもらいやすく体調を崩しやすかったため、体調を崩しやすい人と崩しにくい人の違いはなんなのかと疑問を持ち始める。

自身と子ども達の体調不良で心に余裕がないようなギリギリの状態だった頃、姉からセラピストへの転職の話をもらう。

自身の体調不良などの心配もあったが、セラピストとして再び勉強をし、子ども達の体調を改善させたい一心でセラピストに転身。

34歳で上京し、ミオンパシーをとことん行った。上京当時、身体の痛みと硬直感で朝目覚めて起き上がれるまでに20分を要していたが、ミオンパシーと共に食の改善・分子栄養学による栄養療法を集中的に行い、3ヶ月で朝起きてからも痛みを感じずすぐに起き上がれるまでに回復。慢性的に出るくらいひどかったアレルギー性鼻炎や喘息も改善していった。

自分の体調が回復していくと共に子ども達も不調を起こしにくくなり、病院いらずの生活になる。

痛みの改善と共に心も軽くなった自身の経験から、痛みに悩む整体ジプシーになっている方や、痛みや不調の改善を諦めかけている方が、一人でも多く『自然に笑顔のでる毎日』を取り戻してほしいと強く思っている。

その場しのぎではなく、根本からの改善を。だれもが本来の自然な状態を取り戻すことを目指し、日々邁進中!

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辻村美智子:セラピスト紹介
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